アラフォー世代が経験した中学受験体験談と受験勉強で得たこと(後編)

中学受験生活
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こんにちは、「中学受験の羅針盤」運営者の結衣です。

今回は、約30年前の中学受験を振り返る回顧録・第2弾です。

前回の内容は、アラフォー世代が経験した中学受験体験談と受験勉強で得たこと(前編)になります。

中学受験で親がしてくれたサポートや、実際に自分が感じていた気持ちを思い出してつづっていきたいと思います。

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季節講習は長時間過ぎて記憶なし

筆者は小3冬から小6まで通塾を続け、もちろん季節講習にも通っていました。

当時の季節講習は、12時間!!!!

朝9時に来て、夜9時まで勉強するんですよ…。

通塾時間は片道45分ぐらい。

食事をどうしてたのか記憶にないですが、2食は要りますよね?

近くのマックで買ってくる生徒も結構いたので塾の入っている雑居ビルには常にマック臭が漂っていた記憶があります。

母の記憶もすでにないのですが、「お弁当は作ってない、帰ってから食べてた」とのこと。

1日何コマあったのか不明ですが、自習室はなかったので、食事休憩以外はずっと授業ですよね。

受験生は8時間とかは普通かもしれませんが、とにかく長かった…。

子どもには過酷すぎてやらせたくありません。

でも、当時から中学受験のために子どもに能力以上の負荷を掛けることは当たり前だったんです…。

子ども的にも「まあこんなもんだろう」って感じですね。

幼いころから習っていたピアノは結構ギリギリまで続けていました。(下手でしたが)

中学受験の親のサポート

当時の両親がしてくれたことを振り返ってみましょう。

  • 子どもの中学受験を決め、入塾。
  • 月謝や季節講習、各模試の支払い。
    (ありがとうございますm(_ _)m)
  • 志望校をピックアップし、週末には家族で学校見学。
  • 塾の保護者会や個人面談に参加。
  • 学校の文化祭・説明会の情報収集&参加。
  • 受験に役立つからと朝日小学生新聞購読、Sの季節講習の投入。
  • 父は算数を教えるも、Xに置き換えたりするので、余計分からず算数は苦手。

いま思えば、学校以外にこれだけのことをしてくれたのは本当にありがたいことです。

教育費をかけられるのって当たり前ではないんですよね。

当時はいまほど親の勉強のサポートはなかったので(なかにはやっていた保護者の方もいたと思いますが)、塾にお任せして必要な手続きはやるという感じでした。

2月本番の前受け校として1月入試の学校も出願してくれましたし、子どもの学力や成績を鑑みてベストな判断をしてくれました。

受験直前の決起集会・先生の激励

当時の受験塾は体育会系で宗教じみていたので(完全に主観です)、入試直前の決起集会は子どもながらに異様な雰囲気を感じていました。

暗くした教室で全員が「必勝」の鉢巻きを巻き、以下のようなセリフを言われます。

「君たちは受験のためにこんなに頑張ってきた」

「努力は報われる」

「入試本番で自分の力を出し尽くせ!」

「君ならできる!」

渡される大宰府の御守に、塾のロゴが入った合格えんぴつ。

いま思えば、洗脳に見えなくもないですが、挑むのはまだ12歳の子ども…!

そして、入試当日には「君にはきっとサクラサク」みたいな電報が届くんですよ。

志望校の校門には、各塾の講師が生徒を激励するために待っています。

泣けてきました。

中学受験生一人ひとりにドラマがあると言われるゆえんです。

『二月の勝者』の冒頭シーンではないですが、

2月の寒空のなかでかじかむ手、

言い知れぬ緊張感、

ここまで頑張って来たのに落ちたらどうしよう、

お母さんもお父さんもがっかりする、

と頭がパンクしそうななかで、顔なじみの塾の先生が最後に握手をしてくれる…。

仕事であっても、やっぱり嬉しかったです。

塾のロゴが入った鉛筆も御守のようで頼りになります。

受験生は、ゲン担ぎでもやっぱり心の支えが必要なんです。

受験結果は…?

筆者の中学受験が終わりました。

結果は2勝1敗。

…第1志望には落ちてしまいました。

  • 2/1 第3志望(滑り止め)○
  • 2/2 第2志望(偏差値相応)○
  • 2/3 第1志望(チャレンジ校)×

一応滑り止めの合格が分かっていたなかでのチャレンジ校でしたが、唯一自分で見に行った合格発表に自分の番号を見つけられなくて、当時の落ち込みはそれはひどいものでした…。

仕事に戻る父と別れ帰宅すると、悔しくてずっとベッドで泣いていた自分…。

12歳の子どもに突きつけられる「第1志望落ちた」「入試問題ができなかった」現実は、いまも鮮明に思い出すことができます。

第2、第3志望に合格しているのに、全然嬉しくないんですね。

悔しくて悔しくて、

人生のここぞというときに実力を出せない自分が情けなかったことを覚えています。

一方、親のほうはあっさりとしていて子どもの感情に引きずられることもなく、すぐに日常を取り戻していきました。

いま思えば、第一志望の学校は通学時間も長く、この学校がマストという決め手も特になかった気がします。
(だから親もすぐに結果を受け入れたんでしょう)

自分の学力に合った学校から合格通知を頂いたのが妥当だったのです。

中学受験は自分の人生で忘れられない経験

小学校生活の半分を費やした中学受験が終わりました。

中学受験生の期間は、小学校でも率先して委員長やクラブの代表を務めたりと、自分の本来の性格を抑えて結構無理していましたね。

でも、長い年月を経て振り返ると、母校の中高一貫校で良かったのだと思います。

筆者と同じく「第一志望に落ちた失意組」が多かったので、最初からなんとなく挫折経験を共有して友達になった感もありますし、すぐに仲の良い友達もできました。

「第一志望に合格できなかった」結果は忘れられないですが、

  • 脳がグングンと発達するゴールデンタイムに、勉強の楽しさを教えてもらい同じ目的を持つ仲間と切磋琢磨したこと。
  • 脳に能力以上の負荷をかけてもらったことで、その後も挫折を経験しながらも勉強する意義を自分なりに見いだせるようになったこと。

は人生の財産といえるでしょう。

そして、これは中学受験を経験した子どもたちすべてが身に付けられる目に見えないスキルだと実感しています。

中学受験は、やりさええ間違えなければ、子どもの能力を一気に伸ばせるチャンスを秘めています

まとめ:自分のルーツになった、中学受験

まとまりのない長文をお読みいただき、ありがとうざいました。

中学受験から30年近く経っていますので、記憶もあいまいで正確でない情報もあるかもしれません。

いま中学受験生を持つ保護者の方に言いたいのは、結果がどうあれ3年間目標に向かって頑張った経験は、その後の人生の端々で活きてくるということです。

現に、筆者は中学受験で学んだ天体から宇宙に興味を広げたり、朝日小学生新聞を購読していた経験から、いまもこうして文章を書く仕事をしています。

中学受験をして良かった! と思える日が必ず来ますので、楽しみに待っていてくださいね。

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